坂野上 貴宏BLOG(K's MUSIC)

K's MUSICの坂野上 貴宏がドラムや音楽について発信していきます♪

ドラミング・ダ・ヴィンチ

深夜の帰宅道。

 

風も春めき、心地良い空気が僕を通り過ぎてゆく。

 

その気持ち良さから、いつもと違った道で帰ろうと思った。

 

すると、さいたま新都心駅を少し過ぎた頃、一人の女性が僕を見つめていることに気づいた。

f:id:takahirosacky:20200515145949j:plain

僕はとっさに目を逸らしたが、高鳴る鼓動を落ち着かせ、再び彼女の方へ視線を向けた。

 

「あれ、、、あなたは、かの有名なモナリザさん?」

 

モナリザを人影もない夜中に見るのは、なかなか不気味である。

あの謎めいた瞳に吸い込まれてしまいそうだ。

 

モナリザ」と言えば、「レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

僕の尊敬してやまない人物だ。

実はスマホの待受もモナリザだ。

 

正直、僕は絵に精通しているわけではない。

 

そんな僕がダ・ヴィンチに興味を持ったのは、数年前イタリア旅行に行った際のツアー内容で、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」という名画を見た事から始まった。

 

それまで、なんとなくしか知らなかったダ・ヴィンチについて、旅行前に調べたのだ。

 

その時、ダ・ヴィンチは色んな分野において天才的だった事や、人物画を描くために人体を解剖までして、骨と筋肉を理解してからその表面にある皮膚を描いていた事を知った、、、

 

宗教的にも人体の解剖はタブーとされていた時代、20年間も解剖を続けて人物画を描いていたそうである。

 

現在では人体の骨も筋肉も骨格図等で見てとれる時代だが、ダ・ヴィンチの生きた14001500年代は、解剖すること以外に人体を詳細に知ることはできなかったのだろう。

 

そんな事を思いながらミラノで見た「最後の晩餐」。

 

ダ・ヴィンチの絵を描くまでのバックグランドに思いを馳せながら見たせいか、気持ちが熱くなり、教会を出た後に、ダ・ヴィンチのウィルトウィウス的人体図のTシャツを買っている自分がいた(笑)

f:id:takahirosacky:20200515150118j:plain

最近では、ドラムでも解剖学的な話は、それなりに一般的になってきていると思うが、2003年に「フリーグリップと尺骨、橈骨」というドラミングアドバイスをK's MUSICが発表した当時、肘から先は真っ直ぐ使って真っ直ぐ叩くというのが当たり前の時代だった。

 

そのため、尺骨橈骨の「回転を使う奏法」は相当なインパクトがあったようで、たくさんのドラマーさん達から感謝のお声を頂いた。

 

しかし、ダ・ヴィンチは今から500年も前に、前腕の構造を熟知していたようだ。

f:id:takahirosacky:20200515150401j:plain

最後の晩餐に描かれている左側にいる人物は全員、尺骨橈骨が「回内」し、右側にいる人物は全員「回外」しているという事も、解剖により人体を熟知していたダ・ヴィンチからの、何らかのメッセージなのかもしれない。

 

思えばドラミングも、腕や脚を動かすという、一見単純な動作の中に、色んな骨や筋肉の動きが内在している。

 

前述の尺骨、橈骨はまだシンプルな部類だが、このブログで呼吸法について書いてから、コメントやTwitterDMでも呼吸法についてのご質問を頂くようになってきた。

 

呼吸法をレクチャーする場合、実際のレッスンなら手取り足取りになるのでまだ良いが、文字で説明するのは非常に難しい。

 

呼吸法③のコメントでもお答えさせて頂いたが、呼吸法という言葉の響きから「腹式呼吸や健康法」のように、吸ったり吐いたりという「息の交換」を重視してしまうかもしれない。

 

もちろん、そういう健康法などの呼吸法と関連性がないわけではないが、ドラミングのように全身を使う場合の呼吸法は、少し切り離して考えた方が良いかもしれない。

 

難しい話になってしまうのを覚悟の上で詳細に書くと、呼吸で使う横隔膜等も「あくまで筋肉であり、インナーマッスル」でもあるのだ。

 

その呼吸筋群(横隔膜、骨盤底筋群)を中心に動かすことによって、大腰筋や腸骨筋を動かし、それらから手足の骨格筋(アウターマッスル)に力を波及させ、

その波動をスティックに伝搬させることで「流体という波の力」となるのが、ある意味、モーラー奏法でもあり、ナチュラルドラミングに繋がるものでもある。

 

だから、息の交換を先に考えるのではなく、それらの「呼吸筋群を動かした結果」として、息の交換が起きてしまうのが、ドラミングにおける呼吸法と考えた方が分かりやすいと思う。

 

しかし問題は、横隔膜などの呼吸筋群は、普段は「本能的、生理的に動いているだけ」のものであって、意図して動かした経験がある方は、ほぼいないに等しいと思う。

 

だから、それらを自分自身でコントロールして、ドラミングに活かすまでには、相当な苦労と努力を要する。

 

また、空気は「圧縮をかけて初めてエネルギー化する特性」があるので、

呼吸法においては、まず「体の中で息を圧縮することが必要」になるため、理知的に練習するのではなく【モード】に入って練習しないと「呼吸筋が動かしづらい、、、」という側面もある。

 

慣れてきたら、横隔膜などの呼吸筋群の「どの場所を使えば手足の骨格筋(アウターマッスル)に波及させられるか」という練習も大事になってくる。

 

こういった複雑なコントロールを経て初めて、スティーヴガッドやポンタさんのように、呼吸法で音圧・爆発力・ダイナミクスを激変させたり、他の楽器のように音の長さを体現できるようになってくるわけである。

 

そういった体の中の奥底から感覚を研ぎ澄ましてドラミングするのと、

単純に骨格筋(アウターマッスル)を使ってモーラー奏法で叩くのとでは天と地ほどの差が出てくる。

 

 

と、ここまで詳しく書くと、ドラムを演奏するのにそんな難しそうな呼吸法なんかいらない、と思う方も多いかもしれない。

 

しかしそれは、絵を描く時に解剖学なんか知らなくていい、という感覚に近いような気がしている。

 

ダ・ヴィンチは、表面の皮膚を描くのに、一見無関係に思える内部の骨格や筋肉の構造を熟知する事で、単純に皮膚を見たまま描いていた画家には決して表現できない、「人間の生命力」を表現していたのではないだろうか?

 

あの時代に人体を解剖までして絵に生命力を込め、何百年経った今でも「世界一の名画」といわれる作品を完成させた、ダ・ヴィンチの精神力と行動力には、本当にひれ伏すしかない。

 

モナリザも製作中、肌身離さず持ち歩き、少しずつ手を加え、何年もかけて描いていたらしい、、、

 

そんなダヴィンチの名言に次のようなものがある。

 

「芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。」

 

ダ・ヴィンチのような天才にも、追求に終わりはないのである。

 

自分のプレイが上手くいかなくて壁にぶち当たった時、心が折れそうになる時がある。

 

特に歴が長くなればなるほど、一個一個の上達も、どんどん細かく、そして難しくなってくる。

 

一番キツイのは、プレイが良くない原因が自分で何なのかわからない時だ。

 

そんな時、ダヴィンチの作品を見ると、まだまだいくらでも追求できる事があると思わされる。

 

「やれる事は、まだいくらでもあるだろう?」

 

ダ・ヴィンチにそう言われてしまう。

 

待ち受けをモナリザにしているのも、ダ・ヴィンチが自分をそうやって鼓舞してくれるからだ。

 

とは言え、この夜道に見る巨大なモナリザ、、、

f:id:takahirosacky:20200515150921j:plain

僕は好きだが、大半の人は恐怖するだけだろう(笑)

 

 

 

ドラムスクール、K's MUSICのHPはこちらです→https://www.ks-music-drum.com